人間性を重視する・・・意味?
どんなことでも、最後にチェックするのは、人間性は大丈夫か?
そういうことのようだ。
どんなすごい発明でもどんなに優れた巨大施設でも、どんなにこの社会のニーズにこたえる切り札であっても、そこに人間性を踏みにじる要素があれば、どう評価するのがいいか。
決まっている。人間性に傷を負わせるようなものは、排除である。でも、技術的に打破することは必要かもしれない。そして、そいう不確定要素があるけれども、想定はできない・・・というなら、多重安全の中身をもっと徹底的に吟味していかなければならない。
それではあんた、何にもできやしないではないか。いい加減にしてくれよというのだろうか。
すべてクリアすることはできないから、ある段階まできたら、最期の人間性に叶うかどうかを検討していいだろう。
でも、それって終わりっていうのはないから・・・。覚悟しておけという意味であり、もっと徹底的に洗いなおせということでもある。
いつも物事があれば、疑うことから始めるというのが、この世では正しいかもしれない。決して人間を信じないことが、人間性を重視することになるのではないか。
よくわからない?って、ほんとうか。じゃ、やりなおしだ・・・。人間性を重視するということはそういうことだ・・・ったのだ。
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