世界のお金が安全安心を求めてさまよう姿・・・
世界中のお金が、今、安全と安心を求めて彷徨い始めているらしい。
金融問題ではないのかっていうことで、そんなことは金融界で責任をもって処理すべきだと、叫びたいものだ。
でも、日本でのかつての証券会社の大きな倒産があったし、リーマンショックは世界中にくしゃみをさせた。まだ米国はその後遺症を引きずっている。
金融問題って、経済のことだし、世界経済って今は、お札で回っているのだから、なんとでもなるのではないのか?って、実は思っていた。
お札を印刷して正規に発行すれば、インフレとかデフレはあっても、なんとかなるもんだと経済学者が遊びで面白おかしくやっていることではなかったのか?
それがどうも、ひとのいのちとおなじように、安全と安心を求めて、世界をさまよいはじめているらしいのだ。
どうなるんだ。ちっとは、価値が低くても買ってやらないと、そこがだめになるではないか。あんまり、安全安心とか過度の評価で実態を超えると、それって危険一杯の投資になるではないか。
どうすんだ。
コントロールできないのは、原子力だけではないんだ。
どうすんだ。
いったいどうするんだろうか。
日本の円が買われるってどういうことだ。たった一年半ぐらいでドルは4分の3に、ユーロはもうすぐ3分の2ではないか。
どうして彷徨うんだろうか。
世界のお金持ちが、しっかりとした産業再生とか、民衆の生活再生とか、地域経済の再活性化なんて目に入っていないってことだろうか。
おのれの欲のために、安心とか安全とかいっているのだろうか。
そう言えば、お金なんてギャンブルで儲ければすぐにできるもの、いくらでも優良企業の御曹司でシャチョウとかカイチョウなら、できるっていうことか。むなしさが残るだけではなかったのか。
そう思うと、ひとは質実剛健にいきるっていう高校の標語が、如何に大切なことだったのか、こころに広がってくる気がする。
暴飲暴食ではなく、腹八分目とか、粗食に満足するとか・・・。いろいろな想いがある。
すこしは足を止めて、じっと宇宙のかなたを見つめて、考えてみてはどうだろうか。お金さんのせいではなく、お金を持つ、世界のお金持ちさんの問題なのだろうか。
とすると、昔のお金持ちがどんちゃん騒ぎで大盤振る舞いで、庶民社会も宵越しのお金はもたねぇーーって言ったことも、きっと大事なことなんだ。
意味のあることなんだ。
お金は社会の回りものというし、積極的に還元していくということが大事なようだ。でも、ちっとも回ってこないのはどうしてだ。
そういう想いが大切だっていうことに気づいていなかっただけかもしれない。
ひとりひとりの少なくても均衡のとれた財政管理が、大金持ちの散在よりも、ずっと大きな役割を持つことは、基本的なことである。
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