大阪人
大阪のダブル選挙でのニュース結果は、大阪人の性格によるものだという。なんとも40%ぐらいの投票率が60%を超えるということが、すべてを物語っている。これは市長選挙だが、府知事選挙での投票率も改善されたようだ。
この結果とは、大阪人の強引さとそれに乗るという性格の表れだというコメントもみられた。強引何ひとのこころをつかんでしまうと、大阪人は反発しないで、そこに乗っかってくるということのようだ。
いわゆる自分で仕掛けて、そこに問題をでっちあげて、ごまかすというような手法に似ているようだ。
小泉流および橋本流と並び称される類似の手法なのであろうか。マッチポンプなんていうことばもあったのだが、そういうことかもしれない。
敵を作り上げて戦う・・・。誰を敵にするかが問題なのだ。
すべて政治の世界はだれかが、その土台となる素案を作り上げてきたのだが、そこのほんの少しのことをほじくりだして論点だというのは、はなはだおかしいのではないか。
なぜ、全国的な問題を中央の政治家は論じないのか。地方のことで、注目に値する動きだと称賛するだけの能なしなのか。
様子見でどの既存政党もうごきは少ない。触らぬ神にたたりなし・・・ということか。
それでは、国家としての論点が見えないではないか。
大坂都構想とはなんぞや?この問いかけにどうこたえるのか。東京一極集中の補完としてのバックアップ機能の充実ということだろうか。いや、国家の総合的な行政システムの構築に関係することなのだ。
でも、どうにも地方から弱弱しいちからで進もうとしても、それは通じないのではないか。
大阪人は東京や関東のことを、真に思うことなんてあるだろうか。
日本の中の異質な文化ということではないのか。乗りの良さは、自分勝手ということでもあり、やはり日本の伝統的なデメリット部分を抱えているのかもしれない。
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