スポーツ選手の心得
有名な選手になりたいなら、心から鍛えることだ。
だめな選手でいいなら、適当にやればいい・・・とは、言わない。だめでもいつか大成するのだから、やはり精神力というものを大切にして教えられる環境に身をおくべきだ。
厳しさを離れると、スポーツ選手はほかに何もすることがない・・・(ほんとうはサラリーマンでも自営業者でもみんな同じなのだが・・・)、って思うのだろうか。
安易な方へと流れてしまうのだろうか。それとも、偉大な選手は新興宗教の教祖様のような存在になってしまうのだろうか。
当たり前のこと、それは義務を果たすこと、たとえば法律で規制されているなら飲酒はしない、口にするなら料理にしてもらう・・・というような、きっちりした区分を持つことだ。
そして、スポーツ選手であり、有名で偉大な功績をあげた人物である以前に、ひとであり、ひととしての責務を果たすことが前提なのだ。
悪になるなら、それはそれでいいだろう。そこにも伝統的な任侠というものもあるし、そういういわゆるワルでも、納得のいく人生を送ることが大切なのだ。
バカでもいい。アホでもいい。そこにしっかりとした倫理観があれば、それはそれでいい・・・。
さらに、教育という問題がある。教育者や社会の指導者、リーダーは、とくに時代の流れや国際的な動向を理解し、普遍的な教えを未来を背負う子供たちやそのまた子孫に残し伝えていく必要があるのではないか。
それを支える社会の普通のひとたちが、すこし甘えてしまって、タガが緩んでいるというお叱りもあるだろう。
もっと、しっかりとして心得を再認識する必要がある。
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