あこがれと蔑視
この二つの感情に翻弄されているのが、芸能人だという。
芸能とはもともと河原者と、言われて世間からはずれた存在だったということだ。
でも、今そんなことを想うひとはいない。
あこがれの存在だ。スターだ。アイドルだ。
清水の次郎長はやくざの大親分だ。みんなあこがれて大勢の子分が集まった。人のために尽くすのがやくざ稼業だという。悪を懲らしめるのが、やくざの本来の姿だということもある。
任侠、仁侠、おとこ気ともいうらしい。
その意味は、「弱いものを助け強いものをくじき、義のためならばいのちも惜しまないといった気性に富んでいること」だと・・・。
それでも、そこには現実があっただろう。社会のために一人の男が命を賭けるというのは、どんな状況だろうか。仁侠道という道は、先のない道だという。
おなじようにそういう生き方は、普通の庶民には恐れ多くてとてもできないことでもある。親孝行ではなく、社会のためとうそぶくことで、そこには庶民からみたら軽蔑される何かがあったのだ。
ひとをみる目をはぐくむには、仁侠道を学ぶ必要はあるや否や?
あこがれと蔑視のシーソーは、どこかでうごかなくなるのではないか・・・。
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