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疑惑がスーツを着たようなひと

一度、聞いたようなフレーズだ。

疑惑の総合商社に似ている。

疑惑がスーツを着ているとは、一体どんなことなのか。

そのスーツに疑惑と模様があるのか。それとも着ているひとで模様が変わるということか。

どっちだろうか。

でも、疑惑がスーツを着るとはどういうことだ。ひとが疑惑と表現されていることである。

主語は疑惑をもたれるひとであり、そのひとがスーツを着ているということだろう。

襟を正しても、こころの中や腹の中は真っ黒ということなのだろうか。どこで判断したらいいのか。教えてほしいものだ。

疑惑は総合商社だったり、スーツをきたひとになったり、擬人化されてしまうようだが、そういう言葉を使う尋問者は、以前も今回も血気盛んなというより経験豊富な女性政治家であるという、野党の立場という共通項がある。

ことばは、あまり感情にとらわれずに冷静に使いこなすことが必要ではないだろうか。だれでも、言い過ぎたと反省することがあろう。

そして二番煎じはインパクトがないことも承知すべきだ。

茶番劇なら、二番煎じ、三番煎じでも構わないのだが、国会はそんな場ではないはずだ・・・。

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