できるだけ単純な仕組みがいい
この世の中の物質を細かく分けていくと、素粒子にたどり着くという。
原子と分子、原子核とか中性子とかいう、あの素粒子のことだ。
理論物理学という。湯川秀樹博士はノーベル賞受賞で有名だし、その後、この分野は日本のとくとする分野になってノーベル賞学者を輩出している。
世の中はできるだけ単純な方がいい。
いいとだめは、同じ物差しだ。
重いと軽いもそうだ。
豊と貧しいもそうだし、頭脳の良しあしもいい悪いのと同じなんだ。
高い低いなんていうのもある。
ただ、ひとはわからない。わかっているのは常にいつかは死ぬということだ。これはどんな権力者も苛まされた現実である。
ひとがこの社会で暮らすには何が必要で何が要らないのか。
それを教えてほしい。
ひとがこの社会で暮らすのに必要な尺度はなんだろうか。頓着さ、執着さというか、何かを気にしないことだろうか。そんなことだけではなさそうだ。
やはり心身の中でこころの問題は、つまりは身体の機能の問題であり、身体機能に欠陥らしき多少、他者に劣る部分があるということだろうか。
社会性とか協調性が大事だと、よく就職活動では言われるらしいが、当然ではあるとしても生来、協調性がなかったら、どうすればいいか。
出来ないことはできない・・・。それでいいだろうか。悪いだろうか。
今、子供たちの親として、そういう心身の問題が社会とどうかかわっているのかを、知りたいと考えている。ないものでも、いらないものでも、必要なところにちょっとだけ分けてあげるということはできないだろうか。
人見知りだった子供のころ、それが感受性のひとつの形だと、私は想うのだが、その当時は出来なかった。そうする必要もなかった。
必然的にそんな部分を包含しながら、社会で働きなんともないことが分かった。結構みんなできていそうでできてないことも多いし、やれなさそうな難しいことも簡単にやっていることも多いのだ。
ほんのちょっと、そんなものをできないで人生を真っ暗にしている人たちになんとかして届けたいのだが、そう簡単ではない。
できるだけ、単純な仕組みの生き方をしていきたい。でも、世の中は、遠回りにしかできていない。
だまって歩いて行こう。どんなに遠くても、一歩一歩、右、左を交互にだしていくことだけは、できるのだ。それだけの歩みで、これからは生きていこう・・・。
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