絶対に怒らないと決めた理由がある
私はあるとき、もう絶対に怒らない・・・。そう決めたのだ。
なぜって?
それが一番大事になるとわかったからだ。
なぜかというと、実はわけもわからなくなるような我儘な性格で甘えん坊でへこたれでどうしようもない男だったのだ。
そんな風で、子供のころはおのれの癇癪玉でいつも憤懣やりかない憤りを感じていた。だから・・・、いつも冷静なときは、なんとかいい方法はないものかと、思案したりしていたのだ。
考えることが、実はそういう自分の欠点から習慣になったようだ。そして、考えたのだ。怒ることは必要か?と考えた。
よく周りに見せしめのために、だれかを餌食にして怒ってみるなんていう芝居がかったことをいうひとが大勢いたように想う。
でも、そこで本当かどうかの境目がわからなくなるはずだ・・・って考えたのだ。
だから、いつもできるだけシンプルに自己をコントロールするには、いつも怒りはしないということを決めることだと気がついた。
とすると気が楽になった。へったれと言われても気にしないのだ。そう決めたのだから、それでいいのだ。
とすると周りが何かこの俺の変化に気付いたらしい。それまでのように、怒らせて喜ぶ戦術が利かなくなったと気付いたようだ。
俺は余裕ができた。
よく見える周りの景色は、ときには議論の場の2階だったり、高い木の上からだったりもするのだ。
そしてよく集中できるようになった。
気にしないということが自然になって、こころとからだの中での怒りのプロセスが自然にイメージとして湧いてくる様子が理解できるようになったのだ。
まだまだ、このことは続いている・・・。だってまだ、この方針を私は解除していないのだ。まだ当分、研究する余地があるのだから・・・。
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