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こうあるべきだというしつけ

宗教とは何か。

教育とは何か。

この世の中で、みんながトモダチだという。

トモダチは喧嘩し、戦をして争う関係をいうのだろうか。

敵にならないとトモダチにはなれないというならば、もしそうならば、戦をするというプロセスが大事になる。でも、どうなのか。そんな嘘っぽいことは、もうだれも信用はしない。

ナカマとトモダチはどう違うのか。

ひとの道というものがあるらしい。

親の残した言葉はこころに沁みるものだ。

しつけだろうか。しつけの中で言われたことは、ひとには親切にしなさいということであり、ひとには騙されないことであり、そしてひとにはまけないということではなかっただろうか。

こうあるべきだというしつけは、宗教の中に多くある。

それは自然という宇宙の存在に基礎をおくようなものであり、だれにもいいことはわかる。でも、宗教という名でいくつかの分派があり、かつ同じことを目指す内容であるにも関わらず、勢力争いもする。激しく敵対し、愛すべきひとたちを殺戮もする。どっちもどっちだというのだろうか。

なぜ対立するのか。

そこにその宗教が生き残るための砦があるからだ。

こうあるべきだというしつけの中で、宗教が一番大事なものなら、それをなんとしてでも護るという使命がでてくる。生きることと同じであり、命と同じになる。

このあたりから、平和とか愛とかいうものが、はみ出してくる。

仲間と友達はちがう。

こうあるべきだというイメージも違うものになる。

おのれの信じる宗教が無くなるとそこに自己が消滅するならば、なんとしてでもそれをまもることが絶対に正しいということになっていくのだ。

だから、そういう名の下に生まれていたならば、だれしもそういうしつけの中で生きていくことになるのだろう。

こういうこころの拘束を解き放つには、国際的な融合というか、同じ価値観を共有するという意識の醸成が不可欠だ。

そのためにはこころを交流させることが大切なのだと私は考えている。

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