好きなことができる幸せとは・・・
子供のころを覚えているか。
運動が苦手な子供だった私は、走るのが早い友達がうらやましかった。
でも、下手なりに運動会でトラックを走るときのそう快感はあった。でも、比べると順位はビリっ傑だった。
だから、走るということについても、あまりいい思い出はない。
そんなときに、プロになれる子たちは才能があふれて見えてた。なんでも挑戦できそうな感じで颯爽としていた。彼らにしても、高校、大学、そして社会での仕事にスポーツを選ぼうとすると、そこには無数ともいうべきライバルたちがいたのであろう。
そういう中で、好きこそものの上手なれというひとたちが、ほんの一握りのプロとしての誇りと栄光と手にしているのだろう。
好きでなければ、どんなに才能があっても、そこで大きな成果を上げることはできない。
そうだ・・・。そうなんだ・・・。
たぶん、スポーツ音痴な俺にもなんかとくいなもの、すきになって夢中になれることがあるはずだ。
そう想った。なぜだろうか。
それは、どうせ俺なんか何をやってもだめだから・・・というような、後ろ向きの気持ちを変えたのだ。
好きな道をもって、それをだれよりも好きになってやっていけば、才能とか能力があるひとたちよりも、おれは打ちこんで集中していけるはずだ。そういう姿があれば、かならずそこで負けないで一流になれる・・・。
そう考えることにした。
だって、周りを見渡すと限りなく才能あふれる秀才たちがひしめき合っているではないか。でも、もし俺も彼らのように才能あふれる存在だったら、それこそいろいろなことに力を発揮したくなって、いろいろと多才ですね・・・なんて言われて悦に入っていたのかもしれない。
だから、大丈夫だ。まずは好きになることだ。やりたいことを見つけて、そして夢中になって生きていくことだ。
けがをしたって・・・いいじゃないか。仕方がないじゃないか。そこであきらめる口実にする必要なんてないじゃないか。
だめなら、また出直す。踏みつけられたら、またやり直す。こころがボロボロになったら、また洗いなおして繕ってもらおうではないか。
そこに好きなひとがいれば、そのひとに頼もう。ボロボロのこころをまた繕ってもらおう。そうお願いしよう。
だから、そう言う時にお願いする気持ちは一番大事なのだ。あたまを下げることも、なんともないだろう。
また、やりたいこと、好きなことをしていくためにはどんな骨折りも苦にはならないのだ。
それが、幸せというものではないか。
プロのスポーツ選手は、そんなものをいっぱい抱えている人たちかもしれない。
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