利用されることの意味
使えないやつだ。
だれかが俺のことをそう言っている。
まったく頭にくるではないか。
使えないなんていうのはおかしい。オレハこんなに能力があるのだ・・・。
でも、そうか。そうでもないか。なんにもできないと言えば、そうかもしれない。そして、なんでもできると言えば、それも嘘ではない。
ただやる気がそこまで増幅して維持できるかが一番の問題なのだ。だって、すぐにやる気がうせるのだ。なぜって、だれも評価してくれないのだから・・・、仕方がないだろう。
そうなるようだ。そこにかけているのはなんだ。自分というものの他力本願さではないか。なぜ頼るのだ。他人の評価にどうしてあんたは依存しようとするのだ。自分の価値は自分で評価していくことなのだ。
しかし、そこに大きな落とし穴がある。自分の評価というのは、だれでもすごく厳しいものなのだ。他者との比較ではなく、自分の理想との比較になるから、目標が達成されないレベルでの自己評価はすべてにおいてゼロである。
だから、つい他人との評価で他者のいうことで満足してしまいたくなるのだ。その方が楽ちんなのだ。
利用されるのは嫌だ。でも、利用してもらわないと、人間あるとしまでは仕方ないだろう。その意味は大きいのだ。できることは決まっているのだ。ひとの機能はいろいろあるが、必要とされているのは、この社会での分業体制の維持にかかわるものである。
ものを創ること、物事を考えること、他人にアドバイスすること、その他であろうか。
そんなことをしていくことで大いに利用されようではないか。
相手の手にのっていこうではないか。そこから見出すものが自分にとって大いに価値があると思うなら、そうしていかなければ次へは進まない。
利用されよう。利用される能力を身につけよう。そこにきっとこの社会へと貢献できる道が開けてくる・・・はずだ。
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