ひとの心をうつもの
あの友の姿が今はない。
あの子供たちの姿が今はない。
あの父や母の姿が今はない。
あのおばさんやおじさんやおじいさんやおばあさんの姿も今はない。
あの津波がみんなを連れ去ったのだ。
くやしい気持ちをどうしたらいいのだろうか。
なげやりになるこの気持ちをどうするのがいいのか。
強くいきろと言われても、そんなことができる状況ではない。
どうしろというのだ。
でも、自分でなんとかこの気持ちのどん底から這い出すしかない。
よれよれになっても、ここから這い上がるしかない。
だれもが元気をだせという・・・。
でも、できないことだってある。下を向いて、後ろを振り返るしかないし、前になんて進めないのだ。
こころの打撃はそんなに簡単なものではない。
打ちひしがれたこころは、どんどんと後退していくのだ。すごい速さでどんどんと元気のもとがなくなるのだ。
もう、これで立ち直るなんてできない。
このままどんどんと・・・。
ひとのこころを打つものがある。
それは、同じ苦しみを訴えるひとの声だった。
震災の一年の供養で3人の岩手、宮城、福島の代表がことばをつづった。
それは胸にジーンとくるものだった。
知らぬ間に私の目は涙で覆われていた。
そのことばは、ほんとうにこころをうった。
だから、頑張ろうっていっているのだ。
そう訴えるひとの胸も、ほんとうは葛藤の中にあるのがわかる。
それでも、打ちひしがれているひとのために「元気をだそう」と訴えているのだ。
そういう気持ちにこたえないわけにはいかないだろう。
こたえていけば、きっとそういう声をあげたひとたちは、真に勇気をもつのではないか・・・。
ひとのこころをうつものが、あったのは昨日の慰霊祭の報道でのことだった・・・。
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