災害への備え
安心だ。
そなえがあれば安心だ。
安心するために、災害に備えるという姿勢が大切なんだという主張である。
しかし、そこで付きまとうのはお金である。
入江の集落が高台へ移転したと考えているのは、どこでも子孫のための棲みかを安全にしたいという想いだ。
だが、災害は忘れたころにしかやってこない・・・ともいう。
まだわすれないインタバルでやってくることもある。つまり、スケジュールなんていう決まったものはないのだ。
バランスが崩れたときに起きる。
ひとのこころのバランスがもしも、災害対策というそなえの部分で欠けていたら、どうなるだろうか。
ほんとうのそなえとはこころのことではないか。
ひとつの対策にはそれぞれ盲点がある。高台にはどうなのだろうか。平地よりも危険ながけ崩れとかがあるだろうし、今回の東日本のような地震と津波という組み合わせだけではないだろう。
災害への備えとは、想像力と創造力がモノを言うのだと私は想う。つまり、そういうちからをどう持たせるか。
考え方を導くためのものが、本当の備えだといえないか。
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