スポーツのちから
一芸に秀でる。
そのひとつがもしもスポーツなら、そんなうれしいことはない。
運動音痴の私は、いつもそう想っていた。
将来、プロになれる才能をもっているひとたちは、学校生活では特別扱いになっているのだ。だから、本人の意識によっては、そこでダメになることもある。
しかし、習うより慣れろというように、そんな環境にあると、大した才能がなくとも、そういう成長過程をたどることもおおいのではないかと、私は想うことがある。
みんなその本人も含めて勘違い、誤解だったかもしれないが、そこで結果として世界が注目する台選手になるなんていうことも起こりうるだろう。
その反対もある。
だれもが認めていないが、その才能はすごいということだ。そんなとき、本人がもし何も気づかずにいて、ほかのことに興味があるなんていう場合は、どっちがどっちでもなんとも言えない。スポーツのある種目のファンなら、そんな稀な才能が現存しているなら、そっちを選んでほしくはないと考えるだろう。
スポーツのちからはすごいものがある。
そこで人生を教えるということであり、すべてを超越するということであろうか。
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