放射能のこと
もう年をとったらどうでもいいのだろうか。
放射能を気にしても仕方がないのか。
ほんとうにそう想っているはずはないと考えるも、何か将来に望みをもってもしかたがないんだよ・・・・って言われているようでさみしい。
ほんとうは、いつまでもやはり元気で頑張るという気持ちを、そうあけっぴろげにできないという気恥ずかしさがどうしても表にでるらしい。
そんなところは、やはり年をとったということか。
放射能のことって難しい。
今までの積み重ねが、結果として出ているってことだから、自分たちの過去を責めるしかないのだから・・・。
でも、これからのことをどうするか。
それは子供たちのことであり、これからの社会のことであり、ずっと先の先の人類が消滅した後の自然の汚染だって考えるってことではないのか。
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