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批評精神

非難とか批判ではない。

批評家といわれる人たちがいる。

批評精神というものがあり、大家を単に名声では評価しないということが、その中心にあるらしい。

ぼろくそに言われている三流のピアニストの才能を見出すことと、ひびの入った骨董品をそういう事実に照らして批評することが、その両極になるらしい。

たしかに批評家はそういうことで名を挙げるようだ。

世間の気を引くには、否定することと、価値を創出するとか発見するとか発掘するということが必要のようだ。

そんな批評精神がこの日本にもあったという。

でもひびの入った大御所は骨董品と評価されて喜ぶことも悲しむこともしないのではないか。それは、すべて細胞の劣化が原因であり、細胞の寿命がその機能低下の大元なのだから、そのひと自身とは、あまり関係なくなるのではないか。

いつまでも、批評ができるということは、やはりすごいことかもしれない。

そのためには、その部分の機能だけが活性化していることで足りるという視点もある。

ただ人としての評価は、個々においては、総合的な機能がバランスよく保持されていることが望ましい。世間的にはどっちでもいいことだが、最期はひとは個体として生まれてきたそのままで引き取ることになるのだから・・・・。やっぱり、バランスだと私は想うのだ。

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