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自然のちからを活用しよう

あまりにも偏った生活ではないか。

オール電化が現代生活の最たるものだと、私もつい数年前までは信じ切っていた。

そういう生活レベルを謳歌できないおのれに、なにか引け目を感じもした。

だが、やはりひとはどうやって生きるかが大事だ。

すべてをなくしたとき、なにかをどこかで拾ってくるだろう。喧嘩もするし、奪い合いもするだろう。そこで傷付けば、もうおのれもないだろう。生きていくには、そういう競い合い、殺し合いがあるのだ。

現実を捨ててみても、そこから逃れるすべはない。

みんなそこでどうするのだろうか。

逃避するのだろうか。

おのれを捨ててしまう。おのれの魂もこころも捨て去る。ひとは老いてそうなるのではなく、現実に追われてそうなるのだろう。

自然の中でいきるにはあまりにかけ離れてしまった。他の生物とともに生きることはできなくなった。

火も使えない。水も使えない。なにもできない。

しかし、自然はある。そこでは果実や菜っ葉や魚やいろいろある。でも、食べることはほかのプロがいないとできない。分業というのはなんとも、ひとりひとりの人間をダメにしてしまったようだ。

自然のちからを借りる。いや、私たちもこの自然のなかで必要な生き物なのだという自覚がなくなっている。森の中で暮らすことのできない人間なんて、これからは必要ないのだろう。

なんと贅沢な生活を古代や原始のひとたちは送っていたのだろうか。

ずっと先の未来は、なにかそういう生活がまっている気がする。でも、スポーツなのなかのひとつとかになっているのかもしれない。

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