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モノへの希薄化

モノへの欲が感じられない。

どんないいものでも、お金があれば手に入れられる。

だから、金がすべての世の中であるということは、ずっと変わらないようだ。

株券を持ちたいという欲望はなんだろうか。お金持ちになりたいということではないのか。そこにこの世の中の大儲けの仕組みがあるのだからであるということは、だれでも知っている。

株を暴落させるという仕組みが分かれば、そこで大儲けができる。

でも、そこにはルールがある。

決まりは破られる。いや破るためにつくるのが規則かもしれない。公に認められた方法でその仕組みを深く利用活用するなんていうことだろうか。

株の仕組みは、ひとの生き方を大きく変えてしまうようだ。

株価が予想以上に上がれば、その資産価値は大きく膨らむからだ。でも持続するかどうか、その変動の要因がそんなに簡単ではないことが、安全装置として働くかもしれない。ギャンブルということになると、それはまた違うのだと私は想う。

技術がギャンブルの上で持て遊ばれるのは見ていられない。

だから、もっとモノというものを大切にして、現実をもっと重要なものであると認識していくという仕組みが必要ではないか。

人の意識に依存する。そこでいつも出るのは倫理意識というものだ。それはひとの意識であり、いつも正しく理解できるかどうかは怪しいものなのだ。自分たちを含めて、ある条件下に存在したら、そこで倫理とは何か?って勝手に解釈するリスクはどのぐらいあるだろうか。

おのれの責任を他者にかぶせることをだれも考えないだろうか。そんなことはない。モノというものへの欲求が希薄化しているというのは、なにかモノとしての自己の存在にも意識が希薄化しているということだろう。

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