慧眼で碩学の人
総理なんかはみんな碩学で慧眼だと、ひとはいう。
もちろん、この日本国の総理なら、そのはずだ。
だれひとり疑うひとなどいない・・・。
はたしてそうだろうか?
総理という役職がひとを変えることはある。そして終わるとまた元に戻るらしい・・・。
普通のひとになってしまう。碩学慧眼のひとが、もとにもどるのだ。
私的な立場で公人が何かをいう。公人が私人であると誤解する。
浮足立つ様子がよくわかる。
揚げ足を取られる。転ぶ。すってんころりんだ。
でも、立ち上がる。
どうにもどっかで自信がなくなったのではないか。
筋が一本も通らないこともあるようだ。ヘナチョコだ。
ヘナチョコでちっとも目先の利かない政治家がおおい。
時代は変わるし、常にそういう動向に目を向けていないといけないのだ。
でも、ニホンだけはずっと変わらないと信じ切っている政治家もいるようだ。
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