名前と顔
どうも名前と顔が一致しないのだ。
認識機能が衰えたようだ。
この総理パソコンは、どうもオシャカ製品だったようだ。
どうもこの頃の総理生産メーカーは、品質管理がおろそかになってしまっている。
そんな苦言がシンガポールの半世紀にもわたるトップが言っているらしい。米国のTPP交渉の焦りには大声で時間がかかると笑い飛ばした余裕をみせたという。一方、日本の総理生産メーカーの品質には、インタビューワーの顔を射るような厳しいまなざしをみせたと言うのだ。
おかしいという想いは日本人以上ではないのか。
自国の戦死者の慰霊にもいけず、うじうじして、自国領土の保護にもうやむやにしてしまう政府のだらしなさ、情けなさには、言葉がない・・・といっているのではないか。
名前と顔が一致したことがよかったと事故調査会で発言した前総理の言い分は、総理生産ラインの手直しが必要なことを白日にさらしているのだ。
責任をとるものがいるときには、脇役としてワルをやっつけるパフォーマンスは大衆受けするが、トップが同じような姿勢で叱責しても意味はないのだ。
日本国家という危うさを国民すべてが感じた瞬間は、あの惨事の渦中よりも、ぞっとした気がする。
そんな脇役の心理でいいわけはない。もっと国家の危機管理体制は万全盤石だと信頼していたものが、もろくも崩れ去った。
これでは自然災害のみならず、近隣諸国や敵対する国々とか友好国と言われる国々との間でも、ちょっとした些細な仕掛けに「うっかり」乗っかってしまう危険が多いにある。
戦はしない。
この鉄則をもう忘れそうな気配だ。軍事予算を増額して対処しなければいけないのだろうか。そのためには国家財政を高めることが重要になる。そのためには国家経済が発展し強力な産業の構築が不可欠である。
やはり、意図的に仕組まれつつある争いへと準備していくことになるのだろうか。
そんな危うさを事故調査委員会での前総理の答弁に感じたのは私だけだろうか。
顔と名前の一致がそんなに大事なことだったのか。
リスマネの総合的な仕組みの理解と認識の一致が、やはり総理の仕事としては一番だったのではないか。火事場のなんとか力というが、そんな時は人それぞれで感受性も凹凸があるものだ。
一国の総理とは、国民大衆の尊敬を集める存在であり、どんなときにも命をあずけているリーダーだということを忘れないでほしかった。事故の当事者は責任の大きさとその対応の行く末に不安と奮起をもってあたっていたはずだ。みんないろいろなところで悲しみに打ち震えていたはずだ。
リーダーが不安を怒声に変えてどうする気だったのか・・・。
やはり総理生産メーカーの吟味が必要のようだ・・・。シンガポールの元首相にそのご指南をいただいてはどうだろうか。彼はかれで問題山積で・・・かまっていられないらしいが・・・。
自分たちのことは、大いなる反省を含めて、まだ危機の去っていない事態を懸命になって収拾していかなければならない。苦しいときには、次から次へとそういう波が攻撃してくるということわざもあるし、歴史もそういうことを語っている。
そこで何ができるか?
今、この時代に生きている我々の想いにすべてが託されている。ひとつ一つやる。これだ。急がばどんと腰を落ち着けてやることだ。
乾坤一擲だと今の総理は言っているではないか。
元総理や前総理の顔と名前は一致していますか?
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