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弱者という強きものになるには・・・

社会的弱者。

最近、よく耳にする言葉である。

社会になじめない若者がその代表だろうか。いやそれだけではない。

病気や身体的なハンディで差別を受けている人たちもいる。だが、なぜ弱者なのか。

みんな同じ人間である。

健康であろうと、病気であろうと、生きている限りひとは同じである。でも、そこでの心理はまったく異なるのだ。

そこに何か解決のヒントがある。

これしかできない。そう認識することは、これはできるということである。つまり、能力があっても使わないことがなんと多いことか。そんなことで、ひとを弱者だとかいって差別するとか、俺はこれしかできないから弱者だとすべてをあきらめていいのだろうか。

あきらめも悪いとは言わない。いつか、どうしようもないとき、私たちはだれでもそうしないといけない時もあることは、たしかであろう。でも、いつもそうなのかどうか少し考えてみようではないか。

ひとりでは、ハンディを負ったかわいそうな人でしかない。でも、この世の中には大勢のおなじ境遇のひとたちが必ずいる。

すべてが同じでなくとも、そこで共有できるものがある。

とするとそこで一人は何か重要なことをする義務が生まれるのではないか。いや義務ではなく責務かもしれない。ひととしてやるべきことをやる。できるなら、社会の義務にそういう解決策を高めていくことであろう。

弱者で終わらせない。

弱いとまず認識すること。そこから始まる。弱いことは悪ではないし、ほかの人たちも同じハンディをもつ子どもたちをもっていて、これからも同じなら、自分がそこである見本を示すことができるのではないか。そう考えないとまずだろう。

弱者という強きものになろう。

ただ、暴力を振り回す弱者ではどうしようもないが、社会の一部を担う存在としての責務を果たすために強くなることは、とても正しいことであり、ひととしての当然のことである。

そこにもうすぐそんな姿がみえるのだと、あなたも弱者なら信じることが大事だと・・・、私は考えている。

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