マイナリ元被告の心理
どうなんだろうか。
この元被告はネパールのひとである。
家族が来日してマスコミにでている。その姿はなんだろうか・・・、なつかしい古い日本の家族社会を思い出させる。
そんなひとがどんな気持ちで逮捕されて、冤罪だと・・・、濡れ衣だと・・・、そして無実の罪だと・・・、主張してきたのだろうか。
いつもおもうのは、日本の弁護士組織の存在だ。そこには、そういうひとたちの主張を信頼して継続して支援する姿がある。
とらわれた18年間という歳月は、戻らない。
でも、日本の社会が、マイナリ元被告を祖国に無事に帰すことができるのは、うれしい知らせである。
一般国民や大衆庶民は、その実態をしらないが、古来続く裁判での歴史や伝統や過去の事例は、私たちすべてに悪寒を感じさせるものである。
もしも・・・はないが、なんとも痛ましいことだとおもう。
もしできるなら、マイナリ元被告が安全に祖国へ帰還してからでいいので、その中身に触れたい・・・。いやでもなんでも、理屈なしに従わなければならない非情な状況で、ひとは希望を持てるものだろうか。
「どうせおれなんか・・・、運がないから・・・」といってふてくされて、そういう人間に落ちぶれて社会を恨むことになってしまう・・・。だって、どうしようもない18年という歳月を・・・。そこに信用して待っていた家族とごく一部の法律家がいるということが・・・、いやいるということを私もあなたも信用していかなければいけない・・・。捨てたもんじゃない・・・。
どうやって、日本人は冤罪を受けたアジアのともに謝罪すればいいのだろうか。
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