なりたくない飛ばないテントウムシ・・・
わたしはなりたくない。
テントウムシの飛ばないのにはなりたくない。
でも、もしそう生まれてしまっていたら、どうしようもない。
どんどん仲間を増やすかな・・・。でも、それは飛ばないテントウムシの将来を否定することになる。なんのためにつくられたのかというと、生物農薬というカテゴリィに貢献することだ。
もしも数が増えて、勢力拡大へと繁栄するようなら、そこで制限されてしまう。
つまりは枠のきめられた存在なのだ。
なんやかんやいっても、これって「環境に悪影響を及ぼさないニンゲン」を創るのと同じではないか。
「社会のルールを守るニンゲン」をつくるのと、あまり変わりはしない。
どこか引っ掛かるのだ。
それは、そんなものにはなりたくない・・・という強い意思があるのだから、嫌なのだ。
どうするかどうなるか、それはルールを守らないこともありうるし、環境に悪影響を与えるかもしれないというニンゲンでなければ、その社会秩序を守ることも、環境保護を行うことも無意味になると・・・、私は考えている。
なりたくない。飛べないテントウムシなんて・・・。
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