わが身の恥ずかしさ
自分が自分であることに恥ずかしさを感じる。
こんなことをいうと、ばかにされそうな気がして、さらに恥ずかしくなる。
でも、ひとはわが身という存在を知ることからすべてを始めているのだ。
そこを超越しないと、わが身は他人になる。他人ではわが身の存在に愛着を持てない。
恥ずかしさは生まれない。
厚顔でいいだろうか。
何かあったら、自分が自分であることを認識してそのふがいなさにどう対処するのがいいのか。
ふがいなくても、俺はおれだと認識していることが、人生ではより重要ではないかと私は考えている。
わが身の恥ずかしさは、だれよりもよく承知している。
そして最近はこの感情が何か客観化しつつあるのも事実だ。わが身が他者になっていくということであるかもしれない。
いつかは離れることになるのだから・・・、その準備なのだろうか。
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