ロンサムジョージの最後
ガラパゴス島のピンタゾウガメの最期の一頭がなくなった。
種の保存という視点でみると、どうなのだろうか。
保存するという意味がなくなると、繁栄するための生物本能も消え失せるのだとおもわれる。
いや、最期が近づいているということを悟ったのではないか。
そこに繁殖の意味がなくなるというニュアンスがありそうだ。
日本政界も同様のような状況になっている。
ロンサムデモパーティの最後。
それは繁栄の意志を持たなくなった。未来を展望する意味を見失った。分裂してもその活力もないから、先送りになる・・・。
何も決めきれない・・・という叱咤激励に与野党主要政党で力を合わせるも、身内から個人的な恨みつらみを勝手に買われてしまう始末のようだ。
とばっちり・・・。
そう言えるかもしれない。
なんで代表選の恨みつらみをこんなところで・・・。
東日本大震災の復興復旧で日本経済は先行きの見通しが利かないのが、一般的な理解であり、認識である。だが、日本人はなんといっても、立ち直りが早いとかなんとか言うけれども被災者の心理はずっと「うつ」的な症状でつづくのだ。経済も同じだ。うわべがどうであれ、そこにはみんなで広く助けあうという「今ここ」でできる手をうっておくことだ。
そのための消費税だと私は認識している。だれのためでもない。みんなが、あのとき少しのお金を出したり、ボランティアでがれきのかたずけをしたりしていたのと、まったく同じだ。できることをやらないと・・・、ロンサムジョージが語っているような気がする・・・。それは、きっと次のようなことだ・・・;最後がくるともうその機能もなくなり、気力もなくなる。だって、ほんとうに先に魅力がなくなるから・・・。からだが動かないし、こころももう動かせない・・・からだ。
そうならないうちに、東日本の被災を忘れたかのようなふるまいの民主党のもめごとは、なんともレベルが問題になる・・・。
はっきりと出るなら離れればいい。もう、衆院で反対離党の方向性を出して決めているのだというなら・・・。母屋を破壊して終わろうという魂胆なのかもしれないが・・・。
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