民の造反?
こんな言葉はない。
ある新聞のコラム欄のことである。
政治家が恐れるべきは民の造反だって書いてあったのだ。
これっておかしい。
民が主の国家において、民がだれに対して造反するのか。
ましてや主権在民であるのだ。
民がすべきは、意思を決めることである。
そして、それを反映できる政治家を選挙で国会の場に送ることなのだ。
だが、最近はそれが媚びになっているようだ。国民の目線でいつもみているなんていう下手な言葉を平気の平左でつかうひとがいる。
票とはお金だ。
地盤も看板もない、お金が一人でに入ってくる鞄もない。
それでは選挙にもでれない。
お金を配る親分に媚びることになるしかない・・・。
そこに政治家としての論理はない。
餌をもらう飼い犬というと、叱られそうだが・・・。
飼い主もそれ相応の資金がないと、余裕がないと、犬を飼うことはできない。それもこの国を動かす数を飼うには、それこそ集金マシンがないとやってけないのだ。
こんな時に、民の造反なんていうコラムを書く大新聞がおかしいのだと私はおもう・・・。
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