つつましい生活
逃亡生活。
もうわすれかけていたオウム真理教事件だった。
特別指名手配の逮捕が昨年に続いてまたあった。
17年間の逃亡生活だという。
もう逃げなくてよい・・・。
そんな気持ちがよくわかるのだが・・・。
若者にとって、通常のつつましい生活はあまり魅力がない。何か世間の注目を浴びるようなマジックのような展開を若い時には夢をみる。それでいいのだが、そこになんとも悲しい展開がある。
虚像のまやかしにあうことになってしまう。
人生がそれでいいのか。
逃亡する。その間の生活はまさに人目を避けてのつつましい生活だろう。
それが普通の生活ではないのだ。せっかくひととして一番いいつつましさにであってもそれはただ逃げているだけ、逃げるという目的のための生活なのだ。
本来手にしたいつつましさではない。
どんなことでも耐えるということが、修行なのだという信念なのか?
その辺はわからない。
でも、なにかとてもまちがったことに遭遇してしまったと、私は想う。
悲劇である。
思想とか宗教は自由。これが原則だが、教義にはなにかごまかし、まやかしがないと迷う若者を惹きつけることはできないということか。
政教分離ということ、ひととしての責務とか、ひとの道徳とかいうこと・・・などをよく考えてみる必要がありそうだ。
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