精神論ではだめか・・・
喜怒哀楽で大衆を誘導することができるらしい。
いわゆる社会心理学というもので、マインドコントロールするのだ。
ひとりの考え方は、他者の心理にも反映するものだ。
そこでひとりを大衆に置き換える。
おかれた環境が似ているなら、きっとそこに共通の心理があって誘導にはまるだろうという想定が可能になる。
でも、選挙で票をどう入れさせるか?という命題なら、なんとも恥ずかしい行為である。
そんなことはない。そう政治家はいうだろう。
でも、選挙では「増税反対」「恐怖増幅」などの政策論議をだしていけば・・・なんていうものではないと想うが・・・。
どうにも大衆心理とか集団心理はわからない。選挙は水ものともいる。
高いところから低い方へと水は流れるのは当然だが、その高低がどういう形になって変化しているのか・・・はなかなか難しい問題だ。
しかし、精神論だけではだめだ。
これは当たっている。
なんでも反対ではだめだ。
私利私欲ではだめだ。でも私利私欲がないと公益の重要性もわからないのではないか。
みんなで渡れば怖くない・・・。そんなことで恐い選挙結果を導くのは、なんとも不本意であると私は想うのだが、どんなもんだろうか。
どうも「みんなで恐い怖い横断歩道か吊り橋か、それとも今にも壊れそうなおんぼろなロープかはわからないが・・・」わたるということなのだろうか。
ヒトラーの大衆心理術がどんなものだったのか。
大衆も個人の集まりだ。ということは、ひとりひとりに恐怖を与えて、集団での行動に参加せざるを得ないように仕向けるということだろうか。
精神論も大事だが、ひとりのひととしての責務というものを、やはり考えてみる必要がある。
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