試行錯誤: チェルノブイリの教訓
あれは1986年4月28日のことだという。
ソビエトのチェルノブイリ原発の4号炉が事故を起こし、放射能が漏えいし拡散した。
いわゆる石棺というやつで閉じ込められた・・・というのは、だれでも知っている。
しかし、そこの1号炉と2号炉は、その後再度運転が開始されて、欧州各国の反対がずっと表明されてきたにも拘わらず、2000年まで続いたということのようだ。
まったく知らなかった。
同じようなことが、やはりどこでも起きる。
でも、その判断は難しい。
江戸時代の東京にかえれとは、だれも言えないし、縄文時代の日本にかえろうともだれもいはしない。
競争が命であり、そこから外れることは死を意味するということだろう。
一度、そういう競争社会に入ると、それが常識になる。
なにもしないで、自然の汚染のない空間で、自分の空想に浸る時間をもつなんていうのは、落後者のすること以外の何物でもない・・・のかもしれない。
しかし、今こそ、なにかこの答えを出すときではないだろうか。
ひとの一生における生活をどうデザインするか、それはひとりひとりのある意味で自由だともいえる。もちろん、社会の秩序がなければ、それは実現できないものの一つであるのだが・・・。
« シリア情勢を巡る米ロの見解の対立 | トップページ | 女子短距離界 »
「心と体」カテゴリの記事
- 分かり易い文章(2019.02.09)
- 片べりの靴の教えてくれるもの(2019.02.04)
- 年齢に比例するもの・・・(2019.02.02)
- 散歩仲間?(2019.01.07)
- 本音と建て前(2018.11.19)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント