倫理感の大切さ; 線量計の場合
これは倫理というリミットを越えてしまっている。
普通、スターが舞台でファンに劇薬を投げられて顔に大やけどを負うなんていうニュースがあった。それは、致命的なことであるし、許されはしない。
放射能の場合、そういう因果関係がよくわからない。原爆での汚染は一時的に大量のエネルギーが放射されて大やけどを負い、ケロイドになったり、皮膚がただれて・・・となる。
原発事故での放射能漏れは状況はちょっと違うようだ。ただ、チェルノブイリ事故の初期対策に当たった作業者のその後を聞くと、多くが放射能を浴びたことが原因で死亡しているという。
体内の細胞を破壊することで、癌を誘発しているようだ。
しかし、識者は原発事故で死亡したという事例はない・・・とも言うらしい。
だが、待てよ・・・。チェルノブイリは、ひとの出入りが管理制限されているため、自然の動植物が増えているという。だが、その影響は大きいはずだ。破壊された細胞が、その傷跡を残している大木もあるという。
こんな影響を軽く考えてしまう。まして、隠すことはひととしての責務に違反していると言わざるを得ない。作業につくためには、線量計の上限がある。被爆量が増えると、仕事が不可能になる。
そこで鉛のカバー・・・。でも、効果はなかったようだという。いのちの大切さということを、もっと重く受け止める必要がある。
ひととしての倫理観が大事だ。これは倫理という感じかたでもある。
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