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民意とは、実はいい加減なもの・・・

最近の著名人の言葉に、民意というものがしょっちゅうでている。

私は民意で選ばれた存在だ・・・とか、民意に諮ることが先決だ・・・とか。

これって選挙しろってことか?

それをだれがいっているのか?

みんな国会議員である。反対することになり、意見や主張が通らないと、すぐに民意を問えとなる。なぜならば、その決議は民意を反映していないからというものだ。

直接選ばれた地方議員や首長たちは、民意を背中にしょっているということが多い。そして、国会議員もそうだ。

ただ、日本の総理は間接的な選挙で選ばれる。選ぶひとたちが民意で選ばれて、そこで選んだひとは民意ではないというのは、おかしい。

同じように、意に反することが決議されると、民意に問えという。なぜならば、総理は民意で選ばれていないからという。

おかしな論理だ。

この国を適切に導いていくには、過去・現在・未来という時間軸をしっかりと頭にいれておくことが大事だ。

マニフェストは、政党グループの行政実施計画であり、昔の公約を少し具体化して約束したものだという。民意を持つという選挙民に約束したものだというのだ。

それが実現できない。

だから、・・・。

少数意見の尊重がないという。だから、政権を離脱して、打倒するという。

国民ひとりひとりの意見や主張にはいろいろある。雑多である。

そういうものを、国家というレベルでまとめて、時間軸の上で国民というものを誤りのない方向に誘導することが、国会議員の責務ではないのか。

あなたたち国民を不幸な社会へといざないますから、汚い一票をテキトウにいれてくれ・・・、なんていう候補者がいるだろうか。

それが、国民大衆の民意だと、もし分析されていて、そういういい加減な意志表示がなんとうのか時流にのったなんていうようであるなら、それが民意だとは言えない。

実は、実態のないものが民意なのだと、だれもが知っているはずなのだ。

ヒトラーは民意を得た歴史上のワルものだ。

日本はそういう道を哲学として認めるのだろうか。

仏教は日本の政治を奪取できるのか。もし、その気になったら仏教徒である日本国民の数はほとんどだから、そうできるだろうか。

否。

そうはならない。

なぜならば、仏教の教えがそういうことで国民を救うという目的のものではないからなのだ。

次元がちがう。

政治とは現実の世界のことであり、どう飯を確保して、命を保つかというもっと具体的なものだ。家計と同じだ。できるだけ切り詰めて支出を抑える。それは必要な時に出費できるように備えているのだ。

民意とは実にいい加減なものなのだ・・・。わかるでしょう・・・。

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