楽しさを追求する・・・
まず楽しいと自分が考えていることを仕事にする。
そして楽しい時間を有効に活用するのだ。
なんのためにそうするのか?その理由が大事だ。
それは仲間のためであり、家族のためにということだと、より楽しく仕事ができる。
でも、それって仲間や家族からみたら、あんたの勝手な思い込みでしかないとも言われるようなことでしかない。
普通はいやいややっているという仕事をそんな風に美化することが、おかしな奴という評定になるようだ。
だったら、そういうおかしなやつになっているかどうかで、おのれの仕事が楽しいのかどうかを判断できるかもしれない。
何のためにそんな判断が必要なのか?自己満足のために、たのしさを言い訳にするために、・・・。世の中にはいろいろな仕事がある。みんなこの社会に必要なものをシェアーしているのだってことも事実としてはある。
それで、勝手に楽しいものを選ぶっていうのは、やはり勝手かもしれない。
ひとの嫌がる仕事を積極的にやるなんていうことの方が社会貢献度は大きいようだが、このあたりの考え方ってどうなんだろうか。
楽しさを追求するってところに、問題がありそうだ・・・。
« シリア問題 | トップページ | 社会に銃刀があふれていたら・・・ »
「心と体」カテゴリの記事
- 分かり易い文章(2019.02.09)
- 片べりの靴の教えてくれるもの(2019.02.04)
- 年齢に比例するもの・・・(2019.02.02)
- 散歩仲間?(2019.01.07)
- 本音と建て前(2018.11.19)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント