仮の町は現実のもの
仮にこうしたらどうでしょうか。そんな提案がある。
でも、ここでいう「仮の町」は現実のものなのだ。
まさかそんなチェルノブイリのようなことにはならない・・・はずだ。だって、二重三重、いやそれ以上の安全対策が配慮されているから・・・というのが、みんなの理解だった。
これを安全神話という。
しかし、町は機能を失った。人々はてんでばらばらになって生活する土地を追われてしまった。
仮の町に住民票をおいている・・・。
難民である。国内での避難民なのだ。いつまでたっても放射能汚染はなくならない。だから、仮の町が現実になったのだ。
これを受け入れるしかないってことに、まだ納得できない状況だ。
まさか、まさか、俺たちの土地がこんなことになるなんて・・・。
いつまでたっても以前の風景や生活を頭が忘れない・・・。
いつまでも、いつまでも忘れはしないのだ。
この状況をどう脱却するのか、できるのか?
それも疑問だ。
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