ブラヒミ特使(UN)ってだれ?
前国連特使のアナン氏後任らしい。
どっかでお名前をきいているのではないだろうか。
そんな急に名もない国際調停のベテランが突出するわけもないのだから、きっと有名なひとに違いない。
しかし、この場に及んで何ができるのだろうか。
国連安保理でのシリア問題介入は、拒否権で不可能である今、何がほんとうにできるのか。
はなはだ疑問である。
まずは、当面、ブラヒミ国連シリア問題特使の動向に目を光らせようではないか。
なにか大きな進展があるのだろうか。
ましてや日本女性ジャーナリストが巻き添えになり、シリア北部のアレッポで死亡してしまった。
決められない政治とか、止まらない戦争とか、この時代にあるべきことではないとも思うのだが、ひとの争う戦いは人類のもつ本来的な機能なのだろうか。争うために生まれてきたということなのだろうか。
争いはなぜ起きるか。利害の衝突ということでいいのか。
話しあいとかいう場もあるが、最期は腕力、弱肉強食ということのようだ。
しかし、前に進むには話しあうという機能が一番必要なことなのだとだれしもが認めている。それなのに、話し合う前にたたきあうのは、その後の話しあいをできる限り有利にしようという魂胆からなのだ。
その間に大勢の仲間がなくなり、支援者が離れていくことに為政者は気付かない。ひとりのひとにとっては、死ねば終わるということなのだろうが、社会はずっと続くのだ。
いいものを後世に伝えようではないか・・・。
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