ダンゴ虫から学ぶこころのこと
ダンゴ虫は、危険を察するといろいろな助かる手段に挑むらしい。
ほんとうは考えるという機能を持ち合わせていないはずなのではなかったのか。
どうして、そういう虫から、ひとがこころのあり方とかいうものを学べるのか。
そこが不思議なところだ。
その背景には、こころとは実体のないものだという研究者の視点があるということのようだ。
たしかに、私たちは日ごろ懸命になっているときは、その個々のこころの存在自体を忘れている。ダンゴ虫は、どうなのか・・・ということがきっかけだったのだろうか。
ひとは、他者が果たして自分と同じように痛みを感じるのかどうかさえも疑心暗鬼になることがある。それは確かめることができないからだ。ただ、自分が感じる状況と似ているということを察するだけでしかない。
ましてや、魚が痛みを感じるだろうかとか、ほかの生き物がどんな感情をもっているだろうかとかの想像はとても擬人化しただけでは、実態を知ることは難しい。
だが、意外とシンプルなものだと、私は「ひとのこころ」を察している。
複雑さがこころをつくるのではなく、シンプルさがこころを複雑にしている。こんな表現であたり・・・ではないだろうか。
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