ジョイ・オブ・ラーニング
学ぶ楽しさ。
そんなことを知りたいと思ったのは、つい最近ではないのか。
なぜみんなあんなことを平気でできるのか、あたまの構造がちがうのかなと、子供のころは不安でならなかった。
ひとなみにできるかだろうか。ビリではないのだろうか。なんで、おれだけできないのか・・・。
たったひとつの銀賞(田舎の郡展覧会)で、小学校1年のときにもらったものだ。そのとき、ぼくもできるのではないか・・・。近所の友達は金賞だったのだが、そのときは比べるなんていうことではなく、正直に賞をもらったということがうれしかったのだ。
それが、やはり今でも何かをなし得るために行う学びの喜びというものの中身は、そういう行動をとるという姿勢にある。
できてもできなくとも、そう意識する、たまり学ぶことは楽しいということで、満足できる気がする。
また、そういう学びの段階を経ないと、どんな成果も現れてはこないし、もし現れたとしてもそれを認識することができない・・・と思うのだ。
ジョイ・オブ・ラーニング・・・。
いくら年齢を重ねても、いくつの手習いでも、そこに意味がある。
おれたちは、今が一番若いのだ・・・。自分という人生においては、いつも一番の若者なのだということを忘れないことだ。
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