戦後は終わったのか?
戦後とは、戦争が終結した後のことをいう。
しかし、戦後が終わるとは、どういうことなのだ。
戦後に当てはまる反語はなんだ。戦中ということか。
ならば、次の戦争を始めることが、戦後の終了ということにならないか。
だから、いつまでも戦争はなくならない。
大国のリーダーがその原爆発射のボタンを手にして苦悩したのは、米国のケネディ、ソ連のフルシチョフの時代であったのではないか。キューバに基地建設(ソ連)という事態に米国は「核戦争」を覚悟した。
先制攻撃が勝負を決する。相手の打撃を先に行うことしかない。そんなとき、リーダーは何を想ったのだろうか。
世界で二億人の原爆被害者、死者を想定したというそんな決断がひとりのひとにゆだねられるというのはおかしい。でも、そういう権限を与える今のシステムである。
戦後は終わらせる必要はない。ずっとそのままでいいではないか。もっと賢くなろう。世界に賢人と呼ばれる人たちはいる。でも、力はない。
そこが問題なのだ。戦後は終わったのか?
これは俺のもの、それも俺のもの・・・。みんな俺のもの・・・、反対する奴は敵だ・・・。
簡単に軍事力で脅かし、その相手をせん滅させてしまう。しかし、そのつけは確実にたたいたところへ反力としてかえってくることも確かだ。
戦争という争いを地球上から無くすにはどうしたらいいのか。
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