日本の不幸?
そうか、そうなんだ・・・。
なんだ、そういうことか・・・。
そんなことは、みんな思っているのに、なぜ言えなかったのか。
日本は敗戦国と何度も言われて続けている昨今だ。尖閣問題で中国がなんども繰り返しているし、韓国も竹島問題で日本をワルものにしようと躍起になっている。
ポピュリズム以外の何物でもない。
だが、やっつけられてから、聖人のごとくふるまってもいられまい。降りかかる火の粉は払わねばならん・・・。そう想う。
しかし、根本的なことは、先の世界大戦に敗北したことだ。日本帝国軍への反省というか、そういうものが足りないということだろうか。もう、ほとんどの日本国民は戦争を知らない世代なのだから、そこでどうこうしろと言われてもなにもできない。
ただ、その敗戦後とそこに至る過程を学んでいないわけではない。戦争はだめだと・・・しょっちゅう言われて育った。おふくろにだ。父はほとんど戦争の話はしなかった。それは悲惨なものだということだけは、わかったのだ。
その結末は、広島、長崎という原爆投下で終わった。
日本の不幸はいつ始まったのか。そして、いつ終わるのか。
日本国民がいつその不幸の元凶への戦いに踏み出すのか・・・。
それは、国境を越えた民主主義やグローバル化を真に追求しようとする時ではないだろうか。
国をつぶされても民は生きている。敗戦で全国民が根絶やしにされると思っていた日本の国民は、米国の人権主義に安堵したものの、その真意はわからずじまいであることが、問題ではないか。
大国は敵をつくることで成り立っている。
負けた国は、そこに従属することで、生き延びている。
壊滅されていたのと同じ理屈のようだ。
奇しくも、チベット区のダライラマ氏はいった。米軍基地の存在が「日本の不幸」だといったのだ。国会内の会場で演説をしたのだという。
たしかにそうだ。
日本も米国を凌ぐ力をつけて、そこに意地を見せようとしていたのではないか。でも、表向きだけであったようだ。
心底は、米国のおこぼれにあずかると言うあさましさがあったのだろう。
脱却しようとしなかった。
独自路線を歩もうとしなかった。
そのつけが中国の尖閣問題での嫌がらせに繋がっているのだ。それは、日本という属国へではなく、米国の胸突き八丁への短刀のつきつけであろうか。
日本なんて、無視しているというほどのものでもない・・・・と言わんばかりだ。
日本は政府も国民も今、足踏みしている状態だ。
今後の歩む道を見定めているのだ。
民主主義というものをどうやって具現化していくのか、欧州のまねごとではないデモクラシーを日本はどう世界に活かしていくのかを、思案しているのだ・・・。
だから、不幸ではない。これから、そういうことを含めてどうするかを探っているのだ。だれのために・・・、それは私たちの子孫のためにであり、不幸な道を選択せざるを得なかった先祖たちのためにであり、今、ここにこうして生活している私たち自身のためにである。
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