ひとのこころを持つロボットたち
鏡に映った姿を私たちは、自分だと認識できる。
それは、二歳ぐらいから始まるという。
自分が自分であるという証拠はあるだろうか。認識することで、それが叶うのだろうか。
そう科学的に突き詰めていくと、どこかで行き詰まるらしい。
これって哲学か。デカルトとかカントとかのやつか・・・。
日本にも有名な哲学者がいたな。西田幾多郎っていったかな。
ひとのこころをロボットが持つことは、夢ではないという。
もうすぐできるのではないか。
とすると、ひとはロボットの真似をすることで成長できるかもしれない。少なくとも、知識の充填なんていうのは、幼児教育段階で終了するかもしれない。
あなたは、どのレベルのどんな性格の人物になりたいか?
それによって選択できるようになるなんていう想像はいとも簡単そうだ。
しかし、どうなんだろうか。一番大切な創造力なんていうのはどうなるのか。
それは、歴史上の人物の思考パターンをいくつかあつめて今までにない最高のものを提供できるようにする・・・ことだろう。
国際間の軋轢でひとびとが苦しむとか貧困問題、病気の問題はどうする。
それも、回避の回路で問題はない。
そのころに私たち人類が恐れなければならないのは、たった一つ「神」(ゴッド)の存在かもしれない。
宇宙の神秘はすべて解明されているはずだ。だから、そこで起きる自然現象もすべて問題のないようにあらかじめプログラムの中に含まれる。
だが、問題は細胞の劣化、寿命の問題をどうするかだ。
やはり死というものを残すか、それとも30年とか50年とか、百年を超えない範囲で選択できる方式にするかという問題がのこっているのである。そのころには、また、経済という概念は消失している。
やはりヒトの内面的な創造性ということに価値を見出しているのだ。現状打破というものが、その時空間においてはほとんど不可能になり、維持するだけの世界になってしまっているのだから・・・。
ひとは生まれて、周りはひとのこころを持つロボットばかりなのだ・・・。なにもすることはない世界だ。創造力なんてこれっぽっちも要らない世界なのだ・・・。
こんな世界を望んだ昔のひとがいたのだ。だから、そうなっている・・・。
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