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合従連衡・・・どっかでいつか聞いたな?

どこかでいつだったか、みんな覚えているかなぁ。

合従で連衡だってさ。

思い付きで一緒になるってことだったかな。

合従の策と連衡の策、つまりその時々の状況に応じていくつかの勢力が結びあうこととか、その駆け引きをいうらしい。

中国の語源だ。

太陽の党、日本維新の党が、どうするのか?

それだけではない。

オリーブの木なんとかという掛け声の「国民の生活が第一の党」とは、なんでもみんなは一緒はいやだと・・・、そんなことを言っている。小沢氏の細川政権云々以来のごたごたは、破壊と創造だという称賛もあるが、それは皮肉のようでもある。

出ると思った杭は、すぐに打たれてしまったようだ。

どうでもよくなると、あんな民間との癒着が「無罪・・・」と、放置されてしまう。注目もされない。政党交付金も、せっかくの党首討論も、まったく注目に値しないし、どうにもご本人にいままでの活力が感じられない気がする。

またまた、民主党を中途半端にして蹴散らしてしまい、日本の政治を宙ぶらりんにしていいのだろうか。

野田総理の安倍総裁との「党首討論」を私は、理髪店で見た。

どうせうやむやで、むにゃっむにゃだろうと・・・、多寡をくくってみていたら、なんとあっと驚く解散日の言及、安倍総裁も驚き、あわてたようで、頭の中は真っ白け状態にみえた。

16日に選挙でいいんですね・・・とか、私の質問に答えていないとか・・・。支離滅裂な事前の問答集の文章を叫んで、まだ解散の要求を突き付けようとしていたかに・・・見えた。

そうだよな。だれだって思ってもいなかったのだ。

まだ4年一期の政権にも達していないのだから、この辺でしっかりとした経験をもう少し積ませてあげる・・・とかではなく、本来政権与党が投げだす、総理が投げだすなんていうのではなく、こうしたいという強い意志を持って、弱音を吐く党員議員は追い出すことだ。とすれば、もちろん離党という行動が決して利益にはならないという打算の好きなひとにもわかるはずだ。

国民は、ある程度は信頼して国のリーダーにまかせるという覚悟が必要なのだ。あまりにも変わり過ぎる、だから、国家のリーダーとしての責任がないことになる。前任者がそうだったから、いいんだよ・・・としか聞こえないのだ。放りだすのは、前の総理もおんなじだったではないか・・・となる。

これじゃ、いつまでたっても、姑の嫁いびりのようなものだ。もちろん、姑の気持ちは嫁さんの成長にあるのであって、いびっているわけではない。

でも、この国の総理という職務は単なるいびりだしのオンパレードである。

ゴシップの対象は、もう石破幹事長(自民)や、安倍総裁(自民)に向かっているのは、いびりの対象も変化したということだろうか。

だが、野田総理にあと4年間、やらしてみたらどうだろうか。

あの党首討論を、これからも見たいのだ。

そして、堂々と国連総会で中国首脳とか、韓国とか北朝鮮とか、米国大統領とか・・・と、論争を挑み民主的な討論を行う姿をみたいものだ。

そして、日本国民が靖国神社にお参りすることは、戦争で家族を失ったことへの尊厳の表現の問題だということを、筋を通して説明し納得させてほしいのだ。

どの国にもその土地の自然によって育まれた文化と伝統がある。

祖先を敬うという気持ちを、政府の要人といえども、同じなのだ。

軍国主義下の日本というものは、私たち国民はよく学校で教わっている。

愚かさは、決してなくなりはしないが、人類の知恵というものは、世界に共通しているものだと私は信じている。

合従連衡とは、思い付きだ・・・。

暴走老人も思い付きだ。尖閣国有化は暴走だろうが、その発端はどこにあったのか。日本国内の暴走老人の発想ではないらしい・・・。そこまでアメリカの思想に操られているのだから、中国との比ではないのかもしれない・・・。敗戦属国というレッテルを思い知らされている日本人は、このさきどこへいくのだろうか。

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コメント

消去法の達人たちは、’ああでもなければ、こうでもない’ と力説する。
無哲学・能天気であるから、自分は ‘どうであるか’ を述べることはできない。
過不足のない世界観がない。空想になる。
哲学的な団結ができない仲良しクラブだから、日和見である。
つかみどころがなく、離合集散が激しい。

日本語には時制がないから、現実と非現実の区別ができない。だから、有意義な議論というものができない。
理想を述べると「そんなことを言ってもだめだぞ。現実は、そうなっていない」と返される。
それで、自己の理想に向かって生涯努力する態度が保てない。
未来時制の文章なくしては、脳裏に未来社会を構築することも困難である。
代議士といえども、議論のための代理人となることは難しい。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

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