大惨事の前になにもできないおのれがいる・・・
なんもでいねぇ。
いてもいなくても、おんなじだ。
そんな気弱な気分に押しつぶされるようだ。
大惨事を前になにができるのか。
東日本大震災から1年半以上を経過した。
こういう感覚も日々薄れていくのを感じて、やはり「忘れる」ことがひとには必要なのかもしれないと思う。
しかし、どうも無責任な気がして仕方がない。
でも、なんにもできねぇ。
いろいろとやろうとしても、役にはたたない。ボランティアで現地のがれき撤去とか清掃に労力を提供しても、外国の軍隊の組織的な行動をみて「はっ」とした。
やっぱり、社会のシステムが必要だ。個々の独りよがりでは何もできない。
そんな自己嫌悪の反省も、次第に薄れていくのが恐い。
社会も世界も政治も、みんな忘却しようとしているようだ。
大惨事の前にひれ伏す原発科学という図も見える。これでいいのか。善悪の二つで判断していいのか。
そういう二つは、どっちももともと否定される対象であるかもしれないのに・・・。
なにもできない・・・という状況からどう脱出できるか。
思案中だ・・・。
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