老いるインフラ
身体の細胞がひとのインフラだ。
その劣化は、心身の機能を低下させる。
ひとが老いるというのは、つまりは細胞の劣化である。
これをどう再生するのだろうか。
再生はしているのだが、その補充が追いつかないというのが、つまりは老化であり、機能の低下である。
公共インフラが老化すれば、サービスの提供レベルも落ちるのだ。
だから、ひとは更新される。
ひとというインフラは、再生産されて、交替するという更新システムなのである。
決して一つの個体が永遠に機能することはないのだ。なぜならば、細胞には寿命があるからであり、永遠の生命はないからなのだ。
老いるインフラは、いつのまにか代替されて朽ちて駆逐されるという仕組みなのだ。
そういう全体の枠組みをよく理解することなしに、人生を語ることはできない。
ようは大きな事故のないように、バランスのとれた維持管理を行って、サービスの提供をそのレベルで行う努力をすることだ。
馬車が超高速鉄道にその存在意義を理解してもらうには、その良さを示すことでいい。そこで競い合う必要はないのだ。
馬車の良さは、馬車にしかないのだ。そして、役割を終えたら消えていくことだ。
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