人生のバックアップ
人生ははたしてバックアップできるものだろうか。
まったく同じ人間をそのこころも含んで再現できるものだろうか。
クローン人間はできるようだが、理論上の話ではあり、現実には難しいだろう。フランケンシュタインというのは、まったくの想像上のものだろうと思っていたが、なにか現実みを帯びてきているのはみんな承知だろう。
人生というものをバックアップするのは、なんのためだと、あなたは想いますか。
私は無駄だと思う。
でも、それがどうなるのかというのは、利害論しかないだろう。
だって、ひとのこころはクローン人間とか同じDNAであっても、それは同じには再現できないだろう。
環境条件が違う、つまりひとの反応も違うということだ。
だから、今の自分のこころを再現して、さらにこれはいつからいつまで生きた俺自身だと認識することは無理なのだ。
ということは、意味はない・・・ってことだろう、少なくとも今の俺というか元の俺たちにとってはそうなる。
でも、周りのものにとってはどうなのだろうか。大作家とか偉大な科学者だとかだったら、そこに以前のそのひと自身ではなくとも、同じ能力を発揮してくれるクローンなら、そこに利害が成立する・・・。だから、そういう意味なら、ビジネスの一環としての存在となり、なにかモノになり下がるという感じでいただけない。
偉大なその人物評に泥を塗ることになる・・・。
腎性のバックアップなんて、倫理的に許されないとだれしも想うだろう。
でも、そこに私利私欲ではなく、公益的なものに限定されるなら、どうなのかという議論の余地はありそうでもある。
しかし、ほんとうの自然という意味では、人工的な知恵の創造ということであり、本来の考えとはならないと私は想う。
なんでこんなことを考えたのかというと、例によって、パソコンのバックアップが機能していないからである・・・。
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