体調不安・・・
ひとは一病息災ともいう。
病気は表にでてなくとも、まだ発見されていないものに侵されているということもある。
だから、病気を認識して生きているということは、実にしあわせなことだと私は常々思っている。
とくに責任ある地位では、体調不安は多くの関係者に不安を与えるから、とかく隠ぺいしがちであったり、自分は特別だからという心理状態になって我儘な病人になってしまったりする。
そこに陥穽がある。
自然の大変動とか、心身の病気の場合には、そこにひれ伏してじっと過ぎ去るのを待つという謙虚さが必要である。
そして何よりも、ほかに同じように苦しむひとがいたら、その病を憐れむ気持ちもよく通じるということであり、思いやりのこころがいつもそこにあることが大切なのだと私は想う。
苦悩がひとのこころを侵すことは自然なのであるが、生来の病もある。だから、何か一つでも自分でできることがあれば、それはとても幸運なことだとよく認識することが大切である。
体調不安は、体調がおかしいと感じられることにおいて、それは何よりも幸せなことであろう。知らない間に無理していつの間にか・・・いなくなるというよりは、それはそれだけの幸運の下に生きているという証であろう。
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