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差別の源泉; 民族・人種・言語など

今、グローバル化が叫ばれている。

すでに欧州連合は、その実現の途上で財政面の苦慮を強いられるまでになっている。

やらなければいけないという使命だったのでないのか。

ただ、その中で差別の源泉となるものが多くあるのだ。

それは格差を生む。いろいろな面で差別が生まれる。

仕方のないことといえばそれまでなのだが、グローバル化を考える上での重要な問題である。

世界で通用することは、東アジアの日本にとってもこれからの大きな課題である。しかし、多言語というものが欧州では当たり前になっている今、それと比較すると、日本は遅れている。

ただ、そこで一番大きなものは、欧州での課題になっており、冒頭の民族・人種・言語などがその要因であることは、よく知られた事実である。

差別がおこり、そこに格差がおきる。

つまり生活の質としての貧困という問題が発生するのだ。

貧困は、収入が極端に低いとか、皆無とか、いろいろいうが、仕事、つまり雇用の問題であり労働の問題である。

ひとひとりは社会の歯車である。でも、その歯車になることが大事なのだ。だが、なかなか言語の問題などは、その障壁となる。

グローバル化に伴う移民とか移住とか、または国際機関や企業・組織での業務を可能にするには、多言語化とか、母国語のしっかりした保持とか、伝統文化の多様化などをしっかりと受け入れていかないと、それは単なる文化の崩壊を招くことになる。

文化伝統は、ひとに所属する。だから、ひとが動けば、それにつれて動いていかなければならない重要なものなのだ。しかし、知らぬ間に滅びてしまうこともある。

ひとがものを想うことは、おおいなる未来を示唆している。しかし、それが途絶えるならば、グローバル化は意味がなくなる。

貧困というものの発生している仕組みは、今はよく研究されている。だが、その研究は貧困をなくすのではなく、如何にそこに配分される富を奪うかに費やされているように私には見える。

だって、世界の頭脳が集まってミレニアム開発目標の最優先にあげた貧困撲滅が、まったく進展していないのだ。

貧困がこの世の中の繁栄を支えているというのが、実態ではないのか。ただ、その繁栄というのはごく一部のひとたちのものでしかない。だから、それは偽りのものである。

差別の源泉を如何に、その実態に合わせて修正していくかが、これからのグローバル化に当たっての課題である。

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