方言と生活
都会で稼ぐには、方言ではだめのようだ。
しかし、大都市での言葉は方言というよりは、また違うステータスを持っている特殊なもののようだ。
大阪弁なら、ビジネスでも構わん・・・。
でも、東北弁ではどうにもビジネスでは、甘くみられてしまう。
大都市で働くにはふるさとの象徴的なものをそのしぐさから奪い去ることが必要のようだ。その典型的なものが、方言である。それも小さな田舎の方言は、あまり認知されない。というよりもけなされてしまうようだ。
そんなこと関係ない・・・っていっても、実際は説明を逐一ことばについてやるわけにはいかないから、標準語でしゃべるのが手っ取り早いのだ。
おなじようなことが、どこの国にもあるらしい。
低収入庶民とか過疎地の住民の言葉は、虐げられてしまう。だから、ついにそういう少数民族の言葉は消滅へと進むしかないのだ。
文化と伝統を残しても、普段の生活やビジネスで使えないなら、それは孫子の代まで継続はしない。価値がなくなるからだ。
それでいいのだろうか。
もっと違う価値があるのではないか。
方言と生活には、収入という要素が大きくかかわっている。
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