文化抗争・・・
世界は宗教の対立に入った。
それは文化の対立である。
異教徒を異端視する。
異民族を忌み嫌う。
それは、劣等感のたまものである。
だれしも劣等感を持つし、優越感を持ちたいと思う。
それが、いたぶられたりするとより強くなる。
そういう対立をお金で買うことは、火に油を注ぐようなものだとだれしも知っている。
だから、対立して抗争に持ち込み、敵がたをせん滅するしかない・・・。
そう長い歴史が教えているのだとしたら、どうする。
世界標準の社会へといくら誘いをかけても、それは無理だとなる。
打ち破るしかない。どんな相手でも、打ち破ればそこで覇者になり、従えることができる。
そんな恐怖心が、ひとを深いこころの闇へと引きずり込んでいく気がする。
気付いているのに・・・、なぜ、ひとは素直になれないのか。
文化ってなんのためのものか、宗教ってなんのために先祖が長年かけて創り上げたのだろうか。
対立も将来とか未来の人類を強くするための、必要な要素なのかもしれない。
不合理な奴隷制度が、アフリカ文化を世界中に拡大したように、壮大なテーマが実は、文化の対立や宗教での抗争に潜んでいるのだ・・・。
欧米の操り人形と話し合うつもりは全くない・・・と、シリアの大統領はいう。ここにも、そういう言動を通して未来への何か渦をつくろうとしているのだろうか。そこまでの力は感じないものの、対立という意味では、新たな萌えを発生させなければいけないという雰囲気がある。
国民はその犠牲になれと、為政者はいっているのか。おのれの保身だけのようにしか感じ取れないが・・・。
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