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公共施設における人と車の分離が必要だ・・・

駐車場に車があるからいけないのか。

それとも、駐車場にひとがあるいているからいけないのか。

いずれにしても、ひととくるまがぶつかるには二つの要素が存在していなければならない。

原発と津波のような関係かもしれない。

なぜ津波があるのか。なぜ原発があるのか。

津波は自然現象であるから、原発をそこで津波にあわせてはいけない・・・。

だれしもそう想うではないか。

または、原発を津波に負けないように強固にするとか、津波が来ない場所にするなんていうことはだれにでもわかる。しかし・・・と専門家はいうだろう。こうこうこうだから、こうならざるを得ないのだ・・・と。

でもそうだろうか。

同じ時空でぶつからないようにすることはできないのか。

すくなくとも、駐車場で車とひとがぶつからないように、ちゃんとその経路を制限するべきである。もっともこの考えは昔からある。でも、現実は無視する。それは、軽い犯罪というか、無視してもだれも普段はどうのこうの言わないことだからだ。

これって、原発の立地と同じ問題のようだ。普段は専門家の厳重な安全管理システムという説明で納得せざるを得ないからだ。

そして、起きると想定外という。

駐車場での事故の原因は別にして、車とひとがいれば、ぶつかる可能性は大きい。いくら自動で検出して事故防止システムが作動するようになっても、そこにエラーは付きまとうのだ。

機械は故障する。ひとは過ちを犯す。

この二つは、駐車場の事故と、原発事故とに共通するものだ。

思わぬ災難に遭遇しないためには、まずひととくるまを分離する。

そしてヒュウマンエラーを避けるには、ひとをみたら動かさない。ひとは、くるまが動いていく気配を感じたら、その動きを回避するってことだ。

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心と体」カテゴリの記事

コメント

そうですよね。
とても考えさせられました。

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