好感のもてる国になる?
どっかおかしいだろう。
そんなこと・・・。
このイメージで世界で通用すると思っているわけではないだろうな。
もっと・・・、
もっと・・・、もっと・・・、自分の国を好きだという力強いメッセージを芯にして、日本の民としての想いを枠組みにして作り直す必要がある。
嫌いだ・・・、嫌いだ・・・。
反省もしてない・・・、恥っさらし・・・。
そんなことを韓国や中国は国連などで叫びまくっている。
そんなことをしてなんになる。
好感戦術なんて通用しないのだ。そんな甘っちょろい考えではなく、すべての歴史・伝統・文化を含めて、今こうして平和な社会で暮らすように導いてくれた先人に、今ここに生きている私たち日本の民は、感謝している。
そして、この国をだれよりも好きだと思っている。だから、どんなことを言われようとそれは関係ない。もっと、お互いに隣国のことを学ぶことが大事だ。
嫌いになるのに時間は要らない。
でも、そんな理由は今はないのだ。
ここに至るプロセスに今いきている日本の民は関与してはいない。先人のことを悪く言うなら、反省すべきはそうしなければならない。それがお互いの恵みのためになるのだ。
好感のもてる国とは外国のひとたちが考えることであり、私たちこの国の民はこの国を芯から好きになっているということが大事なのだと・・・、私は考えている。
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