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体育というカテゴリィの重要性

スポーツは根性・・・という考え方は、もうお通用しない。

いや、その根性の中身が実に少ないのだ。だから、日本に体育というカテゴリィができて、それが教育と同じレベルになって並列に論じられているのだ。

昔、体操の時間は勉強しなくていいので、楽しみの一つだった。

だが、スポーツはどんどんと進化し、勝つためには強くならなければいけないから、単なる生まれつきの才能だけでは極めて寿命の短い選手生活であまり活躍もできないということが当たり前に知られるようになってきたのだ。

そのために、何を必要としたか。

健全な肉体をつくること、そして、健全な精神をはぐくむことが最低の条件となったのだ。だから、今の一流のスポーツ選手たちは、極めて理知的であり、科学的な考え方をしている。

大阪市の桜の宮高校の体育関連科で体罰による生徒の死亡が報じられて問題となっている。そこに勝敗のみでの評価主義があったようだ。

体育というものは、生きるための総合的な学問という考え方が最適であろう。食べ物の問題、そして医学の問題、病気の克服、怪我の手当ての問題、またまた精神的なことへの応用も重要な部分である。

ひととしてどう生きるかということにも通じる。

選手と指導者という関係も重要なことである。

高校における体育専攻コースという存在を私は知らなかったが、日本体育大学という存在があり、教育現場における体育教師の育成という問題もある。

医学、栄養学、生物学、その他多くの部門の知恵を、スポーツというものへ活かす総合的な分野であり、これからの高齢化社会での生き方にも大きく繋がる。

麻生副総理の「さっさと・・・」という発言があったが、まさに自分の身体をどういのちとからませて生活という重要な活動を自分たちのものにしていくかというとても大切な繋がりを私は感じる。

その体育学科及び関連学科を目指している中学生や、同高の在校生たちはおのれの主張を強面の市長さんなんかの一時的な人気とり政策に関係なく、堂々とその今の若者としての主張、当事者校関係者としての意見を述べてほしい。

同じ意見以外は、割を食わすという恐喝手法を弁護士の市長さんは使うようだが、そんなことを恐れていては、従順にならざるを得ない教育委員会のメンバーと同じであり、世の中が本当に悪い方向へと進んでしまうときにも、なんら口をだせない存在になってしまう・・・。

そこが、どうにもこの日本の泣き所のようだ。改善していかなければならない。

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